《東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、松永真菜(まな)さん=当時(31)=と長女、莉子(りこ)ちゃん=同(3)=が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)の罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89)の公判は、被告人質問が続いている》 《車椅子に座ったまま質問に答える飯塚被告は、時折口ごもるものの、終始はっきりとした声で証言している。弁護人は、事故現場の見取り図を示しながら、飯塚被告の記憶に基づき事故直前の車の動きを確認していく》 《被害者参加制度を利用し公判に参加している遺族の松永拓也さん(34)は検察官席の1列目に座り、法廷の画面に映し出された見取り図を見ながら、この様子を聞いている》 弁護人「東池袋交差点を曲がった後、車線を変更したのはどの位置か」 飯塚被告「このあたりです」 《飯塚被告は見取り図上で位置を指差すと、赤いペンでそこに「車線変更をした地点」と書き込んだ。そのほか、弁護人に促されるまま、加速が始まった地点▽ガードパイプに接触した地点▽右車線に車線変更した地点▽アクセルペダルを目視した地点▽赤信号と乳母車を見た地点-の位置を、次々と書き込んでいった》 弁護人「衝突した後、車はどうなったか」 飯塚被告「止まりました」 弁護人「(被告が)自力で動くことはできたか」 飯塚被告「できました。…できませんでした」 《言い誤り、すぐに訂正した飯塚被告。事故では自身も負傷し、駆けつけた救急隊に車内から救出されている。救急車が到着するまでには約40分あったという》 弁護人「その際に電話をかけたというが、いつごろか」 飯塚被告「救急隊の方に搬出されて、歩道で待機していたとき、救急車に乗る直前です」 《続いて弁護人は、飯塚被告の記憶と被告の車のドライブレコーダーに記録された映像に「食い違いが4つある」と指摘。一つ一つ確認していく》 弁護人「まず1つ目を教えてください」 飯塚被告「(事故直前に)カーブを曲がり切ってから車線変更したと思っていましたが、ドライブレコーダーでは、カーブの途中で車線変更していました」 飯塚被告「2つ目は、前に同じ方向に走行している自転車(がいる)と思いました。しかしドライブレコーダーではバイクでした」 飯塚被告「(3つ目は)最初の交差点で何かに接触した気がしたが、衝突は避けられたと思っていました。でも、ドライブレコーダーでは〇〇さん(被害者の名前)と衝突していました」 飯塚被告「(4つ目は)2番目の交差点で、赤信号の他に、乳母車を押すご婦人が右から左に渡っているのが見えたと思いました。だがドライブレコーダーでは、松永さまの奥さまの自転車が、お嬢さんを乗せて右から左に渡っていました」 《事故後、1カ月ほど入院したという飯塚被告。パーキンソン病の検査を受けたが、パーキンソン病とは診断されなかったと主張した。弁護人は、退院後の生活についても質問する》 飯塚被告「脅迫状が来ましたし、街頭宣伝(車)が私の住所の近くで(周回し)、しばしば非難を受けました。外に出るのが怖くなりました」 《弁護人は、飯塚被告が事故の惨状を知った当日の夜についても質問していく》 弁護人「事故の惨状を知り、どういう気持ちになったか」 飯塚被告「松永さまの奥さまとお嬢さまが亡くなられたと聞き、大変なショックを受けました。お二人のご冥福を祈る気持ちでいっぱいでした。また、最愛の奥さまとかわいいお嬢さまを亡くされたご主人、ご親族の皆さまのご心痛、お悲しみを思って、いたたまれない気がしました」 弁護人「事故から2年以上がたっている。今の気持ちは」 飯塚被告「2年の間に少しずつですが、けがされた方のけがの状態を伺うたび、大変心が苦しく、つらい思いをいたしました。また、松永さまの親子が亡くなられたことについては、ご冥福をお祈りしたい気持ちでいっぱいです。また、この裁判の間は、私は自分の記憶に基づいて正直に話したつもりですが、結果がどうあろうとも、悲惨な事故のことは重く受け止めてまいります」 《松永さんは、下を向いいて飯塚被告の謝罪の言葉を聞いていた》 《ここで弁護人の質問が終了。検察官側の質問に移る》=(4)に続く